斎藤清作というボクサーがいたことを知っている人はいるだろうか。
1964年に日本フライ級チャンピオンになった人物だ。
そのファイティングスタイルは、ひたすら相手に打たせ続け、
相手が疲れてきた後半に反撃する、というものだ。
打たれても打たれても、ひたすら前に出る。
瞼が切れ、鼻血が飛び散り、それは壮絶なものだったという。
対戦相手が、このままでは死んでしまうのでは、と思うほどだったそうだ。
なぜ、そんな戦法を取ったのかというと、
一つには「左目が見えない」ことがあった。
プロテストの際にはごまかして視力検査を受けたという。
そして、もう一つの理由は、打たれ強いことが自分の特徴だと
認識していたことにある。
その特徴を生かすために、ひたすら打たれ続けたのだ。
引退後は喜劇役者、たこ八郎として、多数の映画やテレビに出演する。
引退時には、頭部の損傷で(パンチドランカー)、
記憶力や身体機能に異常をきたしていたらしい。
それでも、多くの人に愛され、テレビやドラマ、映画等に出ていた。
有名なところでは、「幸せの黄色いハンカチ」にチンピラ役として、
テレビドラマ「ムー(一族)」では立ち退きを迫るやくざの子分として、
亡くなるころに「笑っていいとも」にレギュラーとして出演していた。
なぜ、芸能界は、彼を起用し続けたのか?
人物として、ひょうきんで面白いということだけではない。
伝記を読むと、人間的にも愛される人だった。
何かと周りの人間は、構わずにはいられない存在だったのだと思う。
人は、互助的な存在である。
弱い人に手を差し伸べる、そういう本質を持っている。
彼には、多数の人が手を差し伸べさせる力(=弱さ)があったのだろう。
その上で、彼自身の個性が生きる場面を設定していたのだろう。
だから、テレビや映画中でも、見事に役にはまって、輝いていたのだ。
チームは個性を生かし合うことで成り立つ。
つまり、チームに属する人は、強みもあれば、弱みもある。
その強みを生かすためには、
弱みをお互いに認め合うことがなければならないのだ。
意識して強み、弱みをお互いに知るようにしなければ、
チームとしての強みは生まれない。
私たちは、お互いに弱みを認め合う関係にあるだろうか。
ややもすると、相手のできないこと、やれないことを
責め立ててはいないだろうか。
20200528 ジェックメールマガジンより