思い込みは行動変容をさまたげる4

「てき(敵)」とは共存できない?



「てき(敵)」とは何か?辞書で調べると、《あるものにとって、共存しえない存在。滅ぼさなければ自分の存在が危うくなるもの》とある。「てき」とは、共存できない存在らしい。


さて、職場であれ学校であれ、あるいはPTAであれ、親戚や近所のお付き合いであれ、どのような関係でもよいから、「てき」だと思う人は誰ですか?と尋ねると・・・、


「いや、そんな人はいません。私は平和主義者ですから」


「相手を敵だと思うから争いが起こる。だから、私は誰も敵だと思わないことにしている」

といった答えをする人もいる。


でも、本当だろうか?


こんな優等生の模範解答のようなことを言う人は、本当の聖人でなければ、きっと「タテマエ」を言っているにすぎないのではないだろうか?


試しに、次の文章を読んでもらいたい。


「あいつがいるから、会議が上手く運ばない」


「あの人はいつも私たちの動きを邪魔する。嫌な人だ」


「せっかくのアイデアをいつも批判して足を引っ張る人は、だいたい決まっている」


こんな短文を読んだだけでも、特定の人のことが思い浮かぶ。それが実際だろう。どうやら私たちは心の中で、誰かを「てき」だと思っているようだ。


「てき」は、私たちに害を及ぼす。「てき」は私たちを批判し、抵抗し、邪魔をする。だから、心が痛み、体を痛めることすらある。

このように、わが神経を逆なでする「てき」を、誰もが心に持っている。



だから「てき(敵)」の消滅を願う


「てき」がいなければ、どんなにこの世は暮らしやすいことだろうか!「てき」のために被った屈辱や無駄な労力を思えば、「てき」がいなくなれば、きっと、より生産的で創造的な世界(会社・組織・人間関係など)になるに違いない。


と考えて、私たちは「てき」がいなくなることを願う。少なくとも、自分の視界の外に去ってほしいと思う。そして、そんな気持ちは、日常の言動に現れる。批判したり、邪魔をしたりと。


こうして、私たち自身が「てき」にとっての「てき」となる。このときの「てき」とは、「私たち自身」になる。そして、お互いに相手を「共存できない相手」と思い込み、その消滅を願う。だからこそ、辞書にも「てき」とは《共存しえない存在》と書かれるわけだ。


本当に「共存しえない」?


ところで、本当に「てき(敵)」とは、「共存しえない」のだろうか?これは単なる「思い込み」ではないだろうか?


実際、お互いに「共存しえない!」と思っている相手(=敵)がいるという事実が、「てき」と自分が、すでに「共存している」という現実を意味している。

この点を、冷静に振り返ってみよう。


すでに述べたように、どこでも、誰でも「てき」を持っている。

そして、私たちは「てき」と、いがみ合い争いながら、共に今日という歴史を紡いでいる。人類の歴史は、そんな今日の積み重ねだ。



「てき(敵)」とは共存する相手


いつの世も、どこの世界でも、人間は「てき」と共存してきた。むしろ、「てき」という存在なくして、人類の進歩・発展はなかっただろう。


批判のおかげで失敗が避けられ、執拗な抵抗のおかげで鍛えられ、不毛な争いのおかげで知恵と工夫と発想の転換が促進される。


実際、「てき」はあなたと同様、自らの考えに忠実に生きているだけなのだ、

ところで、あなたは相手が、「てき」であったとしても、「共に歴史を紡ぐ存在」として、共感を持って受け入れることができるだろうか?


それは、難しいかもしれない。でも、その努力は必要ではないか。なぜなら、「てき」とは、(相手にとっては)あなた自身のことだから・・・。

私たちの課題は、「てき」を「てき」のまま受け入れられるかどうか、ということだ。

そして、あなたは「てき」と共存する覚悟があるだろうか?


この問いに答えようとするとき、自分のホンネ(行動理論)が見えてくる。


本原稿は、株式会社ジェック『行動人』から転載・加筆いたしまし

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