思い込みは行動変容をさまたげる8


自分が死ぬということはよりよく生きるための現実である-「死生観」



① 真剣に「自分の死」と向き合うと、自分にとって何が本当に大切なのかが見えてくる


「自分の死」に向き合うきっかけは何であれ、本当に死にそうになったとき、人は「自分の死」という「現実」(リアリティー)に向き合います。

それはテレビのドラマやゲームなどで扱われる死ではなく、これまで何度か見届けてきた親族の臨終でもありません。

目の前で息を引き取った親族が荼毘に付され、焼け残った熱い骨となり、それを拾っている自分ではなく、自分自身がその骨となることです。


この現実に向き合うとき、私たちの心は、

「本当に大切なことは何か?」

「私が生きているこの命は、いったい何のためにあるのか?」

「もし私が明日も生きているなら、どのようにその最後の一日を生きるか?」

と考えるようです。


この身が滅べば、これまで身につけてきたものは、意味がなくなります。避けがたいこの「現実」を噛みしめてなお、

「自分が生きるのはなぜか?」


その究極の答えが、その人にとって「一番大切なこと」であり、その内容は、他人がうかがい知ることのできない心の奥にあるその人の「真実」、命をかけて守るべきもの、と言えるでしょう。



② そして、無駄なことを省くことができる


命をかけて守るべき「真実」を、自分のうちに見いだすということは・・・。

それを例えて言えば、低い雲に隠されていた満月が、雲が晴れて姿を現すようなもので、もともと自分の中にあった「真実」が見えてくるということです。

それはあまりにも美しく、深く心を動かされること。


そして一度、満月がそこにあることを知ったからには、たとえ心に雲がかかろうとも、満月を忘れようとしても忘れられなくなります。あきらめようとしてもあきらめきれなくなります。それを失えば、自分ではなくなるからです。


だから、自然に心はそれに向かい、それ以外のことへの関心が減っていきます。


そのことに自分が気づくたびに、一つ、また一つ