思い込みは行動変容をさまたげる13

自由って何だろう?



ビジネス・パーソンに「自由」は少ない?

組織の中で働いていると、時には次のような「嘆き節」が聞こえてきます。


「私たちには何も決める権利がない。上司がウンと言わなければ、何もできない。本当に不自由だ」

「自分たちは何も言える立場ではないし、取りあえず、これまでどおり、言われたとおりやっていくしかない」

「金も、時間も、人でも制限されて、一体どうしろというんだ?これじゃ何もできやしない」


特に、業績が厳しく、あれこれと上から指示され、叱咤される立場のビジネス・パーソンであれば、いよいよストレスも溜まり、前述の嘆き節が漏れたりします。

でも、本当にビジネス・パーソンに自由はないのでしょうか。


辞書の「自由」の意味

辞書によると、「自由」とは、次のように記してあります。

(1)[freedom,liberty]

他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。

(2)物事が自分の思うままになるさま。

(3)わがまま。気まま。


確かに、この意味でなら、組織人の自由は少ないのかもしれません。組織のルール・規則、上司による「支配」(コントロール)、あれこれ細かく注文をつけられる「制約」の日々・・・。「思うまま」に物事を決められないのが普通です。


だから、組織の中で「自由」を得るには、高い「地位」を得て、物事を決められる「権力」を手にするしかない、と思う人もいるようです。


しかし、本当に「地位」や「権力」がないと、私たちビジネス・パーソンに「自由」はないのでしょうか。私たちは「不自由」を嘆きつつ、ビジネス人生を送るしかないのでしょうか。


「制約の中の自由」とは?


-たとえ「地位」や「権力」がなく、多くの「制約」があっても、私たちは「自由」であることができる-

こう言うと、びっくりするかもしれません。「そんなことがあり得るのか?」と。


しかし、そんなに突飛なことではなく、「どんな状況であれ、心は自由でいられますよ」ということなのです。

それは、「囚われや、恐れがない」という「精神の自由」です。


例えば、今、あなたが懸命に取り組んでいる仕事が、自分の死後百年の後も朽ちることのない価値を実現する仕事であり、今日の仕事はそのために不可欠で大切な一日だと本当に信じることができるなら、あなたにとって「制約」や「困難・苦難」などは、「恐れる」に足りなくなるでしょう。それらは、一つひとつ乗り越えていくだけだと、肚が決まっているからです。


また同様に、目先の利害や世間の評価、社内の地位や風評などに「囚われる」必要もないでしょう。私たちは人間ですから、常に心の迷いはあるものですが、それを静かに見つめ、それに囚われず、焦らず、たゆまず、千里の道を一歩ずつ歩むことでしょう。


「内に省みて疾(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え、何をか懼(おそ)れん」

(自ら省みて何もやましいところがなければ、一体、何を憂えたり、恐れたりするというのであろうか)(『論語』顔淵編)


はるか紀元前に発せられた孔子のこの言葉は、「囚われなく、憂いなく、恐れなし」という、すがすがしい「精神の自由」を私たちに伝えています。


「高い志」を定め、心を込めて仕事に打ち込むとき、私たちの心は、孔子が伝える精神に触れ、「すがすがしく、自由な空間」となるのです(これは、「大きな心的安全空間」です)。


このような「精神の自由」が大きくなるにつれ、冒頭の「嘆き節」は、いつの間にか、心の中から影を潜めていくことでしょう。



「どれだけの地位・権力か」ではなく「何のために仕事をするか」を問い続ける


そうは言っても、現実の組織の中で私たちは、ついつい「自由が少ない」と嘆きたくなることもあります。


そのとき、私たちが、自分自身に問うべきことは、

「どれだけの地位につき、どれだけ自由に物事を決められるようになるか」

ではありません。むしろ、遠く無限に広がる星空を仰ぎ見ながら、人類の歴史の中で、

「自分が、一体、何のために、この仕事に取り組むのか?」

と、自分の「志」を問うことこそが大切なのです。


高い志を保ち、何年、何十年と懸命に仕事に打ち込んでいれば、やがて成果が出て、それが認められ、結果的に地位や権力が与えられるかもしれません。

そのときには、「何のために権力を使うのか?」という問いも加えられることでしょう。


組織の上層部が「志」を忘れたとき


高い「志」を忘れ、「精神の自由」を失っている人は、残念ながら、心の中が「囚われ、憂い、恐れ」でいっぱいになっているようです。(結果として、「心的安全空間」が小さくなっています)。


このような心で地位・権力を手にしてもロクなことはありません。

なぜなら、物事を「自由」に決められる組織の上層部が、周囲の思惑や目先の利害ばかりに囚われ、組織内の派閥争いを繰り広げ、あれこれと多くのことを決めて組織を動かしていくことになるからです。


悲しいことに、このような上層部に導かれた組織は、メンバーや社会からの信頼を失い、成果を挙げられず、自ら衰退の道を辿るようです。


このように、「物事を決める(外形的な)自由」と「精神の自由」とは、別物です。

「精神の自由」は、組織の中で「地位や権力」を問うことではなく、人類の歴史の中で「自分は何のために仕事をするのか?」と、「志」を自らに問い続けることから始まります。


さて、あなたの「志」は何でしょうか。

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