阿修羅の正義

「阿修羅の正義」と言う言葉がある。

これは、「正義」を振りかざして、それを執拗に追い求めると、結果として周りを不幸にしてしまうという例えだ。


インドの神々の話では、阿修羅には舎脂という娘がおり、阿修羅はいずれその娘を帝釈天に嫁がせたいと思っていた。

だが、その帝釈天が舎脂を力ずくで奪ったことに怒った阿修羅は、その後、帝釈天に執拗に戦いを挑むことになる。


確かに、阿修羅は「正義」ではあるが、正義であってもそれに固執し続けると慈悲の心を忘れてしまい、妄執の悪となることから、仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。


我々の生活、仕事も、

「阿修羅の正義」を振りかざす人をたまに見かけることがある。

ルールは守らねばならないものなので、ルール遵守を声高に訴えたとしても、それは、「誤り」ではない。

しかし、「運用のグレーゾーン」を残さないと、うまく回らない仕事も多い。

そのグレーゾーンにまで、正義=ルールの厳格な運用を振りかざされると、まとまるものもまとまらないことになる。


例えば決裁順序。

事前に順を追って申告していくことが必要かもしれないが、最初に承諾を求めるべき対象者が不在の時、その上位者に了解を取っておく等、承諾順序を変えることがある。

それを良く思わない人が、承認を先延ばしすることもあろう。


業務上の役割等も「誰が担当するのか、わからないゾーン」があったりする。

こういう時は、手の空いている人、出来る人が担当せざるを得ないが、ルールを厳格に運用しようとすると、担当者がいなくて業務が進まないこともある。


掘り返さなくてもよい過去のミスやルール違反を掘り返す人もいる。

こういう人は時々、組織内の階層を超えて、トップに直談判したりする。

それを聞いてしまったトップは、問題視したくなくても、対応せざるを得なくなる。

もちろん、見過ごせない不正もあろう。


「正義」の範囲は、時代によって変わるので、10年前は問題視されなくても、今は問題となることもあるかもしれない。逆もあるかもしれない。

それをわざわざ掘り起こしてくるのは、無駄な気もするが、やってしまう人がいる。