なぜ、そうなっているのかを知る


島崎藤村の『夜明け前』(2012, 新潮文庫, 九十一刷改版)に「牛鍋を庭で煮る」という場面がある。

時代は幕末、横浜に港が開設され、外国人が住み始めたころだ。

なぜ、「庭で牛鍋を煮る」のかというと、横浜の宿の女将が部屋の中で煮ることを許さなかったためだ。

外国人居留地もでき、既に牛肉を売る店もあったにもかかわらずだ。


その場面に出てくる幕府の医者は「薬食いとやるか」と牛肉を薬のように言う。


仏教では殺生が禁じられていることや、農耕で牛馬を保護する観点から、明治時代初期までは、食肉を禁じられていた。

そこで、「肉」は「薬」だと、理由をつけて食べていた。

江戸時代には、近江牛などを「養生薬」として将軍家へ献上されている。

また、肉を「桜・牡丹・紅葉」など植物で表すのも同様の理由といわれている。


藤村に戻るが、私たちは、そういう歴史を知っているので、宿の女将が部屋の中で牛を煮させなかったことは理解できる。



このように、歴史や物事の成り立ちを知っていれば理解できることも、知らないと奇異に感じることはないだろうか。


あるいは、なぜそうするのかも分からず、「常識」、「当たり前」として何気なく従ってしまっていることはないだろうか。


先日、あるバーチャルビジネスゲームを受講した。

その際、受講案内のメール文に敬称として「殿」が使われていた。

「殿」は官公庁との仕事をしている企業で多く使われている。

それは、元々、官公庁で「殿」を使う習慣があるためだと推察している。


行政機関によっては、使い分け方をきめているところもある。

例えば、葛飾区では公文書に用いる敬称については、

「国、地方公共団体その他の公法人、区議会、行政委員会、監査委員、

附属機関の長、議員及び委員に対する文書の敬称は、原則として「殿」とする」としている。(「公文書に用いる敬称について」平成2年10月23日

http://www.city.katsushika.lg.jp/keikaku/reiki_int/reiki_honbun/g123RG00000119.html)


また、ある金融系の会社の人から聞いた話だが、

新入社員に、「これ、郵送で送っておいて」と依頼した時のこと。

新入社員は「これ、鹿児島ですが、いくらでしょう」と聞いてきたそうだ。

郵便が全国一律の料金と知らず、宅配便同様、送る地域で価格差がある、と考えたという。</