第二の人生に備える

江戸時代、全国の河川は荷物運搬のために整備され、内陸物流の多くは河川を利用されていた(これを河川舟運という)。

明治になり、物流の中心は、河川舟運から鉄道に移管されていく。

そして、その河川舟運がほぼなくなったのは、昭和中期だとされる。

鉄道がその頃、内陸物流の中心になるが、それも今では減少している。


鉄道輸送は、トンキロベース(重量×輸送キロ)で、国内物流の5%程度しかない。

(国土交通省「交通関連統計資料集」2016年調査 https://www.mlit.go.jp/common/001243084.pdf )

そんな過去の物流の痕跡は、あちこちにある。


先日、研修で訪れた大阪環状線の桜ノ宮駅は、その昔、関西鉄道、今のJR西日本関西本線の始発駅だった。

周辺を歩いてみると、ある貨物会社の建物があり、その前の道路が線路後だった痕跡(路面に石材で区画を分けた後)や、線路わきにレンガ積みの壁が残っている。


東京の秋葉原駅は、貨物駅として開設された。

上野が終着駅だった東北線(日本鉄道)の貨物専用ターミナルとして作られたのが起源だ。

秋葉原から先は、荷物を船で運ぶため、掘割が作られ、神田川につながる水路が作られていた。

明治時代はまだまだ舟運が貨物輸送の中心だったのだ。

今も、秋葉原公園はやや、低い位置にあり、その脇には橋の土台が残っていて、ここが掘割だったことをうかがわせる。


飯田橋付近には、印刷や出版関連企業が多く集積している。

かつてJR中央線の南側には貨物駅があり、ここに紙が荷下ろしされ、また印刷したものがここから全国に配送されたからという背景がある。

今も線路の一部が飯田橋ガーデンスクエア前には残されている。


河川舟運から鉄道へ、鉄道から自動車へという物流の変化には、100年の時間がかかっている。

しかし、現代は、急激な勢いで社会が変わる。


特にコロナ禍では、これまで考えられなかったような変化が起きている。

その変化がいつ起きるか、どういう方向に進むのかわからないというのは、一個人にとっては、恐怖である。


P.F.ドラッカーは、著書『明日を支配するもの』の中で、「第二の人生」という項目を立てている(上田惇生 訳, ダイヤモンド社, 1999, p.224)。

「30歳で就職した組織が、60歳になっても存続しているとは言い切れない」

として、第二の人生を設計しておくことを勧めている。


河川舟運から鉄道、そして自動車輸送に変わったように、これからは属する組織が、どうなるかわからないのは、指摘の通りだ。

そのために新しい第二の人生の準備は必要だろう。

ドラッカーは、「本格的に踏み切る前から、助走していなければならない」(同 p.229)

としている。


コロナ禍の今は、助走している時間すらないようにも思う。

おそらく、助走していた人も、今はその助走ができなくなっている。

助走するにも、方向の定めようがなくなっている人も多いだろう。


今は、新しいことに助走している人たちを応援することが必要な時代なのではないか。

こういう時だからこそ、変化を歓迎して、新しいことに挑戦する人たちを応援しなければ、組織も社会も変化しないように思う。


20210107 ジェックメールマガジンより




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